第五巻 富士和教会

 遠からず第三次世界大戦があると神様が予言しているけれど、その時に日本が、戦争にまきこまれないように守ろうとして、神様がこの教会を作った。実在する神様が作った、古今東西、唯一の教会である。  実のところ、この教会との出会いは、まるで、おとぎ話の中に迷い込んだようなできごとだった。  富士和教会に伺うと、神の使者がいらっしゃって、一対一で、この世の道理と、神の詞を教えて下さる。その神の詞を聞いた瞬間から、神の力が強く働き始めるのだ。  まったくのところ、世界は一変したのだった・・・

二代目神の使者 和丸斎さまのこと

2019.08.15
第五巻 富士和教会

二代目神の使者和丸斎さまとは、安丸姫様、つまり、戸村スエさんの一人息子、戸村和男さんだ。

昭和14年生まれ。明治大学を卒業して、日立家電販売に務めていた。

25歳で結婚したころに、母にお告げが下りて嘘ばかりつかれているので、「狐でもついたか・・・」と、心配をした。母が、神様、神様と言うが、いったい何のことだろうと、宗教関係の書物を読み漁ることもあった。

安丸姫様が教会を始めるころから、自宅にはいつも人がいた。教会といっても、当時鎌倉の小町通りにあった自宅が教会を兼ねていたからだ。会社が休みの週末にも、自宅に居場所がないから、朝早くから釣りにでかけた。火事騒ぎの嘘に振り回された13年の間には、会社から帰り、母から、今夜火事があるからどこどこの親戚に行きなさいと神様が言っていると聞かされれば、子供を背負い、おむつや着替えを持って、一家そろって夜道を出掛けた。結局、神の言う火事はなく、いったい何が起きているのか、考え続けた。

 

由比ガ浜に引っ越して、火事騒ぎからは解放されたが、相変わらず、自宅が教会なのだから、自宅に自分のくつろげる居場所はなかった。人の住居に来て、傍若無人にふるまう人々の姿も見てきた。「運命は変えられる」と、神様が使者に言わせたために、人様の指導に悪戦苦闘する母の姿を、間近で見てきた。嫁ぎ先で、義母の手伝いに奔走する、妻の実家に対する気苦労もあっただろう。会社に対する気遣い、近所に対する気苦労・・・

かつて、奥様の順子さんから、こんな話を聞いた。

主人が55歳のときに、いつもお願いしているクリーニング屋さんが、洗濯でワイシャツをボロボロにしてしまったので、弁償させてほしいと言ってきた。これは何かあると思って義母に聞いたら、私はこれだけは言いたくなかったんだけど、神様は、長い間お勤めご苦労様でした。和男に、退職して、教会に入りなさいと言っています。

 

会社の期退職制度を受けて退職した。それまで、教会として、由比ガ浜の自宅を使ってきたが、神様の命令にしたがって中古物件を探し、材木座の一軒家を退職金を使って購入、改築して教会とした。母にお告げが下りてから30年後に、はじめて、自宅と教会を切り離すことができた。

和男さんは、これから難しい道のりになることを重々覚悟して、教会に出るようになった。安丸姫様の隣に座り、ご相談にいらっしゃる方々の話を聞き、母に分かりやすい言い方に要約して伝えた。安丸姫様は、神様の操作で、和男さんの声しか聞こえなくされていた。和男さんの言葉を聞いた安丸姫様は、手を合わせて神様にお尋ねになり、直接、ご相談の方にお話しをされた。

和男さんは、神が何を伝えるのか、その詞を聞いた人がどんな反応をするのか、後日、その人が何を言ってくるか、その人が何を考えたことで何が起きたか、その無数のケースを聴き続けた。

社会を一周してきた50代後半の男性にとって、人のプライバシーと、心の中をのぞき見する、うんざりするような日々だっただろう。それは今も続いているのだが。

 

安丸姫様が、人様のご相談の途中、「なんであたしがこんなことしなきゃいけないんだっ」とつぶやいて、癇癪をおこしたことがあった。神様がなだめたのだろうと思われる。安丸姫様は、目をつぶって、しばらくして再び穏やかになった。80代後半のことだったと思う。辛抱強い女性でも癇癪を起すことがあるほど、ストレスの多い仕事だ。50代の働き盛りの和男さんは、当時、確かに何度も癇癪を起こして、母の安丸姫様から諫められていた。

 

安丸姫様は、ご相談に来ている人々の前で、遠慮会釈なく、和男さんを叱った。「自分が分かっていることと、人に教えることは、全然違うんだよ」などと、直言した。その場にいる人々は笑ったが、和男さんは黙って聞いていた。その繰り返しの日々だ。

 

そんな日々が10年間続いたが、和男さんは、日に日に変わっていった。

当初、「私の母のどこが、神の使者にふさわしいと神様が考えたのか、私にはさっぱり分からない。母は人前で話しをすることすら嫌いで、小学校の時に担任の家庭訪問があっても、人に会うのが嫌で押し入れに隠れていたこともあった。ものに執着しない、困っている人がいれば鷹揚に助けるなど、近くで見ていて凄いなと感じることもあるけれど・・・」などと話していた。

しかし、この10年間で、神の好き嫌いを理解し、母戸村スエが、お告げの下りる前からすでに、神が好む性格であったことも分かるようになった。神に対する理解が深まっていくのが、傍から見ていてはっきりと分かった。理解と覚悟が身体に沁みて行った。そして、神様から和丸斎という名前を与えられて、安丸姫様の後継に就いた。 

 

神様は、親不孝を諫める。こどもがどんなに親孝行をしたつもりでも、親が子を思う心には届かない、と。子供の時に親がこんな育て方をしたから・・・、親の考えていることが間違っている・・・等々、子供が親に不満を持つことを神様は嫌う。親の人格を問うのはお門違いで、親がいるから自分がいる。親は「親」だから大切にするのだ。

 

神の使者が「神の使者」であることの厳しさは、私たちには分からない。だが、神が育てた使者がいるからこそ、神と「双方向」の対話ができる。富士和教会が誕生するまで、神によるこの世の支配は、一方的なものだったのだ。この事態の大きさを思い、神の使者の存在の重要性をかみしめる必要がある。神は、この使者を通して、世の中を変えていくだろう。そのときに、人は、目に見えるこの使者に集中する。上に立つ人の粗を探したがる人もいるだろうが、その人の、社会における役割を見失わぬように、心したい。

 


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