第一巻 湖水地方レポート

十勝海岸に展開する湖沼群は、庭園都市計画家の目に、宝の山に写りました。豊頃丘陵が海になだれ込む、起伏に富む風尚が胸を打ちます。無造作に放置されているが、生物多様性に富み、磨き上げたら素敵なエコロジーリゾートを作ることができると考えたのです。海跡湖/ラグーンの連なり全体を、生きた自然博物館として整備し、その中に、水牛牧場、海霧を浴びた草をたべるブラウンスイス種の放牧地を組み込む。人と、自然と、その媒介を果たす農業について、湖水地方からレポートします

海岸草原のブラウンスイス

2017.11.18
第一巻 湖水地方レポート

この概念のミルクは、世界で唯一だろう。

 

「ミルクの概念」・・・という表現は、分かりにくいかもしれない。食品だから、原材料の実力が70%から80%だ。ミルクと一言で言っても、水牛乳と牛乳は当然違う。しかし、牛乳だって、どんな目的でどんな環境を用意するかで、その質はまったく違うものになる。

 

ホルスタイン種は、飲料乳生産を目的として改良された牛だ。だから、特に、乳量最大化を目的とした舎飼いのホルスタイン乳は、一般的には、チーズには向かない。飲料用に大量生産する個体が良しさとれて、選抜されてきたのだ。放牧されているホルスタインの乳は、清浄でさわやかなものがあるけれど。

 

ブラウンスイスは、その乳質がチーズ製造に向いているとされる。名前の通りに、スイスの高山域を出自とするために、足腰も強く、搾乳所まで片道1kmや2kmは、何の苦も無く歩く。山を出自とするチーズ用品種のブラウンスイスを、海岸草原で育てて、そのミルクをチーズ製造に使うという概念が、湖水地方牧場の「海岸草原のブラウンスイス」だ。

 

海岸草原とは、文字通り海沿いにある草原で、強風や潮風、乾燥、砂の移動といった、特徴的な環境にある。本州では、海岸草原といってもピンと来ないはずだ。海浜の際まで住宅が立ち並んでいるのが常だからだ。

湖水地方の魅力は、湖沼群の素晴らしさもさることながら、この海岸草原が生きている点にある。人工物のまったくない広大な風景の中に、草を食むブラウンスイスを眺めると、その豊かさに深くため息をつく。

 

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湖水地方は、夏になると海に寒流が北から下がってきて、海上の大気を一気に冷やし、大気中の水分を霧に変える。海の温度が下がるから、相対的に陸の温度は上がるために、その上昇気流に引き寄せられて、海上の霧が上陸することになる。

作物の成果は、芽生えから収穫までの温度の総和、つまり、積算温度が重要なカギを握る。だから、湖水地方は草しかできない不毛の地とされた。ここに暮らす人々は、牧畜しか選択肢がなかったのだ。海霧はマイナスのイメージだった。

私は、湖沼群の風景に資源力を見たのだが、湖水地方に参加したいと考えた際に、「海霧は資源にならないのか」と、手あたり次第聞いて歩いてみた。すると、「海霧は陸に海のミネラルを運ぶ。ミヤコザサをはじめとして、植物の栄養価は高い。だから、戦前は軍馬の育成地だったのだ」と教えてくれる人がいた。

 

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湖水地方と同じ道東だが、はるか北に位置する根釧原野も、同じ環境にある。浜中農協の元参事が話してくれた。「近代化という点で遅れをとっていたから、釧路に出るとバカにされてバカにされて、泣きながら帰ったことがある」。コストのかからない、放牧に活路を見出した。ひたすら努力の末に、アイスクリームのハーゲンダッツが、原料乳として買い求めた。今では、生産する乳を全量、ハーゲンダッツに出荷している。浜中農協の組合長が言う。「科学的には証明できないと言うが、この土地の草は栄養価が高い、だから、豊かなミルクができる。海霧のおかげだ」

 

フランスのノルマンジー海岸が、同じ条件だ。海霧が海のミネラルを運ぶ。だからこそ、カマンベール村のチーズは、熟成した風味の豊かさで世界的に有名になった。同じノルマンジー海岸で、プレサレと呼ばれる羊肉も海のミネラルだ。漬物の発酵に海塩がモノを言うように、「熟成」に、大きな役割を果たす。

 

イタリア料理関係者が、ときどき、「イタリアでは、水牛モッツァレラチーズの方が、格が上だ」と言う。それは、ホルスタインの舎飼いミルクで作るチーズと比較した場合のことだ。イタリアには、「海岸草原のブラウンスイス」という概念の原料乳は、ない。彼らには想像できない、評価も難しいだろう。

レストランやチーズショップにしてみれば、「湿原のイタリア水牛」の方が売りやすい。だが、本物のテロワールを表現するのは、「海岸草原のブラウンスイス」だ。植物生態学上、湖水地方の海岸草原は独特で、高山植物のガンコウランが海岸段丘上にカーペット状に繁茂しているのは、北海道の中でも、知床と湖水地方だけだ。エゾカンゾウ、ツルコケモモ、その他、特徴的な草花は枚挙にいとまがない。400種を超える植物が生い茂る湖水地方の海岸草原は、生物多様性の点で秀でている。その植物を、芽生え直後の最も生命力旺盛な時期にムシャムシャ食べてしまうブラウンスイスのミルクが、芳醇でないわけがない。湖水地方の海岸草原を、いかにして表現するか・・・

 

消費者に説明し、その真意が浸透するまでには、長い時間と道のりを必要とするだろう。本物とは、そのようにして社会に登場し、定着したとたん、元々そこにあったもののように、当たり前に受け止められるものだ。

現在、「幕別町忠類のチーズ 湖水地方の朝」が、東京の一流レストランに、すこぶる高評価で迎えられている。ミルクの質の高さが伝わるのだという。「海岸草原のブラウンスイス」・・・この概念を、今後の努力で磨き上げたい。  2017.11.18

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