第六巻 千旅万花

古今東西、旅は遊行者の特権であり、格別な遊びです。果てしない相貌を表す山水を観照し、異文化を知り、人間の文化に対する複眼的な思索の機会を与えてくれる。しかし旅の「記憶」は、記録されることによって、言葉は世界を語る方法を模索し始めます。人は世界を語ることによって初めて、自らの実存に輪郭を与えることができる。それは壁に映し出されたつかのまの幻灯ですが、瞼を閉じれば、その残像を慈しみ、愛し、語り合うことすらできるのです。語ることを惜しんではならぬ、旅はいつもそう語りかけています。

2017.09.03
第六巻 千旅万花

千旅万花-雨

 

「降雨機を探してくる」と言い残して、プロデューサーのジェレミーはハリウッドに向かった。僕はそれから半年の間、時々ニュージーランドに出かける以外は、ほとんどの時間を南太平洋のクック諸島で暮らした。

熱帯の5月は、遅い午後に雨が降った。土砂降りの雨は、荒野を駆ける騎馬群のように、海の遥か彼方から水煙を巻き上げて押し寄せて来る。雨上がりを待つホテルのレストランでは、西洋人観光客たちが、決まってサマーセット・モームの「雨」を話題にした。娼婦ミス・トンプソンとの情事に溺れた伝道師デヴィッドソンは、抑圧的に降り続く熱帯の雨の中で哀れな末路を迎える。僕は、凍るほどに冷やしたプュイフュメを飲みながら、「西洋の憂鬱」について考えていた。

小一時間もして跡形もなく雨が上がると、世界が新しく生まれ変わる。

日が暮れるまで、透明な大気の中で、気が遠くなるほどに美しい天空の穹が、紫紺色から杏色、そして桃色から若葉色へと変容しながら、西の空から東の空に向かって大空を渡るのだ。灼熱の午後の、劇的なフィナーレ。そして、ホテルの楽屋で 踊り子たちが髪を梳かし始める頃、夢想する夜が密林に向かって、甘い匂いのする帳を開いた。

熱帯では、雨は大地の血流である。日々の律動を形作り、理性を超えた圧倒的な生命力の躍動そのものである。

8月。ジェレミーがデイヴィッド・ボウイを連れてロンドンから戻り、映画の撮影が始まった。僕は二十代半ばで、美術担当のラインプロデューサーだった。すでに雨季は終り、乾季のさなかである。雨のシーンは脚本から削除されていた。もはや降雨機のことは、話題にすらならなかった。

この記事の続きを読む

ページトップへ戻る