第四巻 自然万象

自然が、世界を支配している。自然の掟という言葉があるが、道理という支配律と同等である。生きとし生けるものを動かしている、自然の道理について、自然の支配力について、自らの体験と日々の発見に基づいて語る。 

運命と自然

2019.07.31
第四巻 自然万象

私の父親は、義弘という名で、父親を6歳で亡くした。母子家庭で、貧しい農家の三男坊だから、学歴もなく、苦労と無理を重ねて生きた、難しい人物だった。47歳の時に、職場で転落死して一生を終えた。命綱が切れたのだという。

その年、私は13歳で、爾来、「運命」ということを深く考えることになった。

後年、仕事でご一緒した10年ほど年長の人物は、私の死んだ父親と印象が似ていて、これからどうやって年齢を重ねて行くのだろうかと、はたから見ていても不安をぬぐえない印象があった。名前が義弘で、6歳で父親を亡くしたという。長くお付き合いすることはなかったが、その人物はのちに、ビルの屋上から飛び降り自殺した。享年47歳であった。

名前、父親を亡くした年齢、享年、死に方、これらが一致する。そして、私に縁がある。類は友を呼ぶとも少し違うかもしれないが、不思議な符合だ。

 

「運命を信じている」と言う人がいる。人は、人の考えだけで生きているのではなくて、人の力を超えた、不思議な力に動かされていることを信じる、というほどの意味だろう。

運の良し悪しというが、命に係わるほどの運を、命を運ぶと書いて運命という。信じると信じないとにかかわらず、運命は、向こうから襲い掛かってくる。

 

人は、運命の手のうちに生きている。

その運命を動かしているのは、自然の力だ。

人は、その自然の力の理を知りたいと願う。

自然の理とは、自然が、この宇宙で、何をしようとしているのか・・・

 

自然生態学を通して、人が学んだことは、身の回りの緑の自然は、ブルドーザー1台あれば一瞬のうちに破壊し尽くすことができるけれど、自然の力は常に動いていて、数百年後には自然林が復活する、つまり、完璧な自然が再生するということだ。

畑に作物が育つのも、海で魚が採れるのも、この自然の力があるからだ。悪も、狂気も、長い時間のなかで淘汰される、それも、同じ自然の力のなせる業だ。そして、その自然の力が、命を運んでいる、つまり、運命を支配している。

小林秀雄が言う「無私の精神」、「頭の中の龍を殺せ」、禅の言う「無」・・・人は、狂った自我を正して、自然な人柄の成就を求めてきた。

自然は、人の運命を支配して、自然を成就しようとしている。人の心、つまり、人の考え方の中にある、悪や狂気を淘汰し、瑕疵を修正して、自然な状態を実現しようとしている。それが、一人一人に結果として運命の形で現れる。その理が、「道理」ということだろう。

道理を悟り、道理に従う・・私たちがすべき努力は、日々、道理を悟る心がけを怠らぬこと。

自然が人に求めているのは、この一点に尽きるのではないか。

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