浙江工商大学環境学院における講演原稿 22年4月12日

2010.04.10
第六巻 中国行路

「北海道の環境事情 現在と未来 Environmental Issue of Hokkaido : Today and Tomorrow

 

みなさんは、この写真を見たことがありますか。

1975年に出版された、写真集「MINAMATA」の中の「入浴する智子と母」。Eugene Smithというアメリカ人写真家の作品です。私はこの写真で始めて、「環境」という課題に出会いました。17歳でした。
今日の講演は、私が昨年移り住んだ、日本の北海道における環境事情が主題です。
思えば、私が庭園都市計画家として、環境を人生の主題とするに至った道筋は、この一枚の写真との出会いから始まったのです。ですから、今日はこの一枚の写真から話を始めたいと思います。

 

水俣病は、環境汚染による食物連鎖がひきおこした人類史上最初の病気であり、「公害の原点」といわれます。水俣病患者の公式発見は、1956年ですから、私が生まれた頃のことです。化学窒素肥料を作る工場が、アセトアルデヒド製造工程で副生されたメチル水銀化合物を含む廃液を垂れ流し、それが魚介類に蓄積して人間に害を及ぼしたのです。魚が湧く」と言われたほどに海の幸が豊かな水俣湾に、水俣病が襲い掛かりました。
この写真に写っている智子さんは、胎児性水俣病が原因で、様々な障害を抱えて苦しみながら、
1977年に21歳の若さで亡くなりました。他にも何千人、何万人という人々が、今でも水俣病の後遺症に苦しんで生きています。痙攣して踊りだす猫、手が震えて茶碗も満足に持てない人など、ネットで調べていただけれは、今でも多くの映像を見ることができます。
当時、
私は高校生で、学校と、友達と、読書と、テニスとサッカーと、駅前の繁華街しか知らない、どこにでもいる普通の、少し多感な若者でした。新聞で、土本典昭という記録映画作家が作り上げた長編記録映画「水俣-患者さんとその世界」が上映されることを知り、おそらく生まれて初めて一人で電車に乗って東京にでかけ、この記録映画を見ました。衝撃を受けました。会場でこの写真を購入し、自宅の自分の部屋の壁に張りました。毎日この写真を見つめながら、誰に責任があるかなどと議論する前に、何故みんなで力を合わせて、この人たちを助けようとしないのだろうかと、疑問に思いました。毎日毎日、そう思いました。

 

この後日本では新潟県でも同様の公害病が発見され、また、イタイイタイ病、四日市ぜんそくが、日本の四大公害病とされ、高度経済成長の代償として、深刻な影を落としました。
また、1970年代
前後には中国においても、吉林省から黒龍江省にかけての松花江流域で、化学工場から流出した、メチル水銀および無機水銀による土壌汚染が明らかになったと言われています。
水俣以後には、フィリッピンミンダナオ島やアマゾン川流域、アメリカとカナダにまたがる五大湖
に面するカナダ オンタリオ州グラッシイナロウズ、ホワイトドッグの地区などでも有機水銀中毒が報告されています。
世界に初めて発信された水俣病は、55年以上が経過した今でも、すべてが解決した訳ではないと言われます。2010年には、被害者と国との間で長く続いた裁判に、和解勧告が出されました。しかし、ここに至る経緯は、実に無惨なものでした。水俣市は、公害の原因を作り出した企業に勤める人々が、被害者とその支援者との間で、利害と感情の対立を激化させ、町全体が四分五裂しました。健康な住民も、いつも揉め事の中で辛い生活を強いられました。日本近代は、常に暗い影の部分を深く大きく抱えているのです。
その後の私達は、水俣の教訓を生かして、「汚染」という問題と格闘してきました。大学や企業の技術者と研究者たちは、必死に、汚染物質を除去する科学技術の開発に邁進しました。その努力は、実に輝かしい成果をあげ、それぞれの局面では、膨大な数の問題を解決したのです。私達は、近代科学の恩恵を存分に享受し、科学技術の発展には、いつも拍手喝采を惜しみません。

 ではここで一つ、「近代とは何か」というお話をします。

思想家の山崎正和先生は、近代とは「多様性の統一」であると言いました。つまり、複式簿記が世界標準になったために、国際企業は世界中で企業活動を行い、連結決算をすることができます。コンピューター言語を共有しているから、言語が違う人どうしでもインターネットで交信することが可能です。ドルを世界標準通貨とし、英語を共有語とし、メートル法、キログラムなど、統一規格を持つことで、その結果、私達は都会でも田舎でも、平等に文明を享受できる世界を作り出したのです。今、私達の目の前に展開しているこの社会の有り様は、人類の悲願でした。
それでは、近代とは中世の後にやってきたまったく新しい思想であったかと言うと、それは少し違います。大脳生理学者の養老毅先生は、「近代化とは、都市化と同義である」と語りました。つまり、人間が自然を切り開いて都市を作り、その場所を人間が支配する、それが近代化の本質だというのです。古代人が河岸段丘上の乾いた草地に、草屋根の家を作って住む、それも近代化の一種だということです。

皆さんが大好きなビールも、昔は大気中の酵母を定着させて作りましたから、醸造所に住む酵母によって、季節によって、年によって、できあがるビールの味は変化しました。しかし、ビール研究家の渡辺純先生の本によると、「
1880年代にデンマークのカールスバーグ研究所で、クリスティアン・ハンセンがラガー酵母を単独分離し、純粋培養に成功したときに、自然と人間のか細い糸はプツンと切れた。以後は、自然界から切り離された酵母を人間が管理する人間主体のビールである」と言います。ビールの話に置き換えれば、近代科学技術というものが、自然を分析して分解し、人間に必要なものだけを支配し、人間のために使う思想であるということが、実感をもって理解できると思います。

 

それでは、ここに登場した、「人間と自然の関係」について、少しお話します。

私は現在、浙江工商大学日本語言学院に客員研究員として在籍し、日本文化研究所の王宝平先生とともに、「西湖の山水」について、共同研究を始めました。先週の土曜日には、杭州に観光旅行でやってきた日本人観光客のために、全日空から依頼されて、「中国人の自然観」について講義しました。私事で恐縮ですが、私が個人的に開設したウェブサイトは、「随想山水記」と題しています。私は、山水という言葉を、自然の総称として使っており、中国文化に登場する伝統的な自然観に魅せられた人間です。
紀元前五世紀頃、有名な思想家孔子が「山水欣賞」という思想を論じ、「仁者は山を楽しみ、智者は水を楽しむ」と語ったことは、皆さんはよくご存知でしょう。

以後、中国の歴史は、文学、詩、音楽、絵画、庭園など、さまざまな分野で、自然山水を主題としてきました。一方で、西洋で初めて自然風景を題材とした絵画が描かれたのは、16世紀のルネッサンス時代だと言われます。スイスのアルブレヒト・デューラーという画家が描いた「アルトの巡礼」です。以後、文学においても、ルソーの「孤独な散歩者の夢想」や、パスカルの「パンセ」においても、自然に対する観察が生まれて来るのです。
私は、この二千年の差は実に大きな意味を持っていると思います。

西洋は確かに近代の確立において、世界をリードしました。彼らは、靴をはき、スーツを着て、車に乗り、コンピュータを操る東洋人を見て、しばしば見下すように、Pretendingと評します。つまり、西洋近代人のふりをしている、物真似だ、というのです。
 しかしそれは浅知恵というものです。近代は、人類の歴史に普遍的な思想であって、西洋人が常に、西洋と近代を一体の概念と考えているのは間違いです。

張芸謀先生が作り上げた北京オリンピック開会式では、中国が近代の基礎をすでに宋、明の時代には確立していたことを見事に表現しました。私達は西洋人が作った世界史を勉強させられ、印刷技術はグーテンベルグが開発したものだと信じていましたが、中国ではもっと早く開発し、大衆文化の時代を築き上げてたことも表現されていました。素晴らしい物語絵巻でした。
 日本もまた、中国から学んだことを元に、江戸時代初期には独自に近代の土台を築きました。思想家山崎正和先生は、角倉了以と角倉素庵という商人親子が、京都という日本の首都であった都市の重要なインフラである運河を作ったことなどを例としてあげて、台頭した商人階級が思想家として社会の中枢を荷う近代の特性について解き明かしました。日本は自ら近代の基礎を築いていたからこそ、明治維新以降、近代をやすやすと日本歴史に確立することが可能でした。
 中国においてはもっと古く、近代の基礎を確立していたのですからこそ、今のように、存分に近代を導入することができるのです。このまま歴史を推し進めていけば、世界に冠たる高度な近代社会を実現するのは時間の問題でしょう。 私はむしろ、西洋人が世界に先駆けて近代思想を確立したのは、自然的世界に対する係わり方の浅さと大きな関係があって、しかしそこにこそ、私達の近代が抱えている問題を解く鍵があると考えています。西洋社会に長く暮らしたことのある方々は、肌で感じたことがあると思いますが、西洋先進諸国の人々は、人間が自然を支配するのだと信じています。しかし、日本人である私には、その思想は本質的に違和感があります。中国の皆さんはどうですか。

環境考古学者安田喜憲先生は、人間は森で生まれ、森を消費しながら都市を拡大し、文明文化を育てる。しかし、人間が森を消費し尽くしてしまうと、森の消滅とともに都市も文明文化も衰退する。この法則は、歴史的に例外がないと説明し、自然的世界と人間との文明史観を解き明かしました。
植生生態学者宮脇昭先生は、「植物と人間」という本の中で、森林を消費しつくすと、大量の根が地下水を引き上げる力がなくなり、地下水位は下がる。地下水位が一定以上下がると、森を再生することは困難となり、沙漠化は負のスパイラルに向かい、人間の文明も衰亡に向かうと書いています。古代に文明を発達させたメソポタミア、ローマ、ギリシャ、エジプト、インダス等、元来森であった大地が今や沙漠と化し、産業もまた衰退させて、観光で生計を立てているではないかと言うのです。ヨーロッパは、過去に、常緑広葉樹林を破壊して沙漠化し、その後文明文化の中心は北に移動して、今は落葉広葉樹林帯にある。ロンドン、パリ、モスクワ、ベルリン、ニューヨーク、フィラデルフィア・・・・すべての繁栄する都市が、落葉広葉樹林帯にあるというのは事実です。
 酸素の供給もまた、当然、植物の仕事です。植物は犬や猫よりも弱い存在で、大きな自然的世界の摂理の中で生かされています。植物は、大自然の象徴的な表現でもあるのです。ですから人は、その弱い存在に対して頭を下げ、物言わぬ声にじっと耳を傾けなければならぬように、運命付けられています。
 しかし一方で、都市は、人間が人間の考えで環境の全てを制御しようとしている場所です。自然的世界の道理を離れた人間は、都市で暴走するという一面もありますし、自然的世界の桎梏を逃れた人間は、都市において自由を獲得するという一面もありましょう。近代化とは都市化なのですから、近代と自然的世界とは、そのような関係にあると言えるのです。建築という近代工学の粋を集めた仕事は、この都市化の思想に軸足を置いています。人間の考えで、すべてを支配しようという思想です。一方で、私が手がけている庭園都市計画という仕事は、都市を、自然的世界との均衡の上に構築しようとする思想に基づいています。ですから、その象徴的な都市として、杭州と西湖の関係に深い興味があるのです。私の庭園都市論に触れると、とてもこの時間の中では語りきれませんから、この話はここまでにしておきましょう。

 さて、都市化において、東アジアはどうでしょうか。中国文化の中心である江南も、日本の主要都市も、常緑広葉樹林帯にあって、近代文明を発達させています。西洋が既に放棄した常緑広葉樹林帯の文明です。しかし日本の常緑広葉樹林帯は、今や風前の灯火です。日本には鎮守の森という独特な思想があって、大小を問わず都市には、神の祠を祭る自然の森を作ってきました。その森は、人が手をつけてはならない禁忌の森です。その森を作る思想が、日本民族の発展の、思想的基礎を形成してきたと宮脇昭先生は言います。しかし、その鎮守の森もこの40年間に激減しました。特に大都市とその周辺では、開発によって破壊されて、壊滅的な状態です。現在の日本は産業の空洞化が進行し、政府は、観光事業を国の柱に据えようと訴えていますが、それは衰退への道であって、行き過ぎた都市化が原因である、それでは西洋と同じ道を辿ることになる、それは自然的世界に対する思想が衰えた結果だと、宮脇昭先生は訴えるのです。「人は、都市と自然的世界との均衡の上に生かされる、民族をあげて、自然的世界に対する尊敬と畏怖という思想を育てよ」と訴えます。
 中国は今、どうでしょうか。自然と人間という、民族の盛衰の鍵を握る大切な思想について、真剣に論じていますか?

 

 水俣に話を戻しましょう。

 水俣病は、「環境汚染による食物連鎖がひきおこした人類史上最初の病気」であると申し上げました。水俣という町は、私の友人である吉本哲郎が市役所職員だった1990年代になって、環境汚染で壊れた町を、環境汚染を主題にして立て直そうと努力しました。最先端のゴミの分別とリサイクルの仕組みを市民とともに実践して、その分野における日本のモデル都市になったのです。
 水俣病は先進諸国に対して深刻な反省の機会となり、以後半世紀の時間を費やして、「環境汚染による食物連鎖」に対して、人類は真剣に取り組んだ、近代科学は自ら進化して、自らの瑕疵を修復するのだと、私はそう信じていました。しかし最近、どうやらそれは、あまりにも楽天的な見方であったということに気づいたのです。

 

 やっと、本題の北海道にたどりつきました。

 日本では、陶淵明の「帰去来の辞」がとても人気があります。私も「帰りなんいざ、田園まさに荒れなんとす」とつぶやき、五十年以上暮らした東京郊外の町を出て、昨年、北海道の大田園地帯に移住しました。私の住む十勝地方は、日本の食糧生産基地と呼ばれる地域です。江南はかつて、「江南が実れば、国は安泰」と評された土地ですから、紀行風土の違いはあれども、その点は似通っているかも知れません。私の庭園都市計画論では、人間の食物生産も重要な課題の一つです。ですから、陶淵明のように畑を作ろうと計画したのです。
東北地方の青森県は、日本のリンゴの40%以上を生産しています。その青森で、リンゴを無肥料無農薬で生産している、木村秋則先生が、私の農業の師匠です。三月に、木村秋則先生は、講演でこのような話をしました。

  「農薬についてですが、日本の農薬使用料は全世界でもダントツ一位です。アメリカの18倍、中国の2倍。韓国では、数年前から国を挙げて、無農薬無肥料栽培を推進しています。一方、日本の米稲への除草剤使用量も世界一。人間への影響はどうでしょうか。日本人の死亡原因調査では、1960年にくらべて、1997年の癌による死亡率は3倍になりました。私は、関係があると思います。日本に来る外国人は、日本では野菜を食べるなと、政府から注意を受けて来るという。農薬の量が凄まじいからです。
また、畑に散布した窒素肥料というものは、植物が吸収するのは20%ほどで、40%~50%は大気へガス化します。この環境に対する汚染度は圧倒的です。最近、アメリカの大気圏局がその実態を発表したので、アクセスして読んでみてください。農地の窒素肥料は大気を汚染し、膨大なCO2を発生させ、異常気象を引き起こす。農家が地球を壊しているという実態が語られています。北海道に特化した課題は、家畜の糞尿です。家畜の糞尿は完熟させることが必要です。」

  この講演を聴いて、私は衝撃を受けました。なんと、ここにも窒素肥料が登場するではありませんか。水俣を汚染した窒素肥料は、その製造過程は近代技術の発達によって、汚染物質を垂れ流すことはなくなりました。しかし、今度は大気中にガス化して、環境汚染を引き起こしています。農薬と除草剤は、野菜や穀物に残留して人間の体内に蓄積し、日本人の三人に一人は癌で死亡するという結果をもたらしているのです。なんという近代社会でしょうか。食物連鎖は、ここでも厳格に機能しており、近代思想の破綻による環境汚染は、単に、場所を変え、形を変えて、しかし、巧妙に、何かしら悪意を感じさせる方法で、力強く生き延びています。私はこのとき、「近代」は自らその思想を進化させることはないのだと、悟ったのです。

日本には、蛸壺型研究者という言葉があります。海の蛸は、壷に好んで入りますが、その居心地の良さに満足して、壷の中に安住して周囲を見ない、そんな研究態度の学者を指して、言う言い方です。企業人も学者も労働者も農民も、周囲を見ない、全体を見ようとしない。このままで果たして私たちは、この世で出会うことのない、遠い未来を生きる人々に対して、責任を果たすことができるでしょうか。
人間とは、人と人の間に生きる存在だと、漢字が教えてくれています。現代を生きる私達の、未来に対する責任について考えましょう。
では、全体を見て、私達は何かを考えるべきなのか。 さきほど、西洋近代思想の、自然的世界に対する係わり方の浅さに、私達の近代が抱えている問題を解く鍵があると申し上げました。私は、人の思想というものは、「自然観」に尽きると思うのです。人間と自然の関係を構築する思想です。
近代とは「多様性の統一」だと申し上げましたが、だからといって、統一という思想に支配されることは本末転倒です。しかし、近代が内包する統一という思想を優先するがために、私達はしばしば画一化され、独裁され、一元的に支配される危険があります。これは本質的な近代思想の落とし穴です。二十世紀前半の日本が軍国主義化したのも、その落とし穴に落ちたことが原因の一つだと思います。
企業活動も、近代経済学の規則に則って邁進すれば、企業は常に巨大な企業を目指します。とどのつまりは、世界独占企業を目指しているとすら言えます。トヨタが世界一の自動車企業になった時、しかし、世界一になることでトヨタは何を手にするのだろうかと私は考えました。その答えは、トヨタの経営者も満足に答えられないと思います。彼らはただ、近代経済学の思想に忠実に働いているだけなのです。つまり、近代はひたすら競争相手を駆逐し、世界を独占的に支配することを目指す思想を持っているのです。
しかし、自然環境行政において、生物多様性という主題が繰り返し語られているように、多様性こそが豊かさの本質です。多様性を生かすために、統一が必要なのであって、多様性を捨てて統一するのではありません。ですから、本当の多様性は、近代思想によっては生まれないのです。本物の多様性は、本物の自然の中から生まれてくるものです。本質的な多様性は、自然との関係からのみ生まれるのですから、私たちは今、どんな議論にも負けない、自然思想を確立すべき時期にあると考えるべきなのです。

東アジアには、長く深い自然思想を築き上げてきた歴史があります。そのために、近代を確立する時期は少し遅れ、東アジアは苦難の歴史を経験しましたが、ほぼ近代を掌中に納めたこれからは、東アジアの文化に深く根ざした自然思想こそが、現在の近代の欠陥を解決する鍵になるはずだと信じています。近代を進化させた、東アジア近代思想の構築です。
しかし、過去に学びながら、民族をあげてその思想を求め、構築し、学習し、身につける努力をしなければ、現在の近代が内包している本質的な問題は解決できないでしょう。それは大きな思想的冒険ですが、近代社会の担い手である私達市民が、その思想を持って、近代思想を進化させなければ、今日お話した窒素肥料による汚染のように、その病巣は社会を確実に蝕むことをやめません。窒素化学肥料も、全国一律、どんなところでも、同質の肥料を手に入れることができるという、近代社会の恩恵実現を善意で信じて製造されてきました。この善意を誰も否定はできません。だからこそ、私達に今必要なのは、思想的努力だと言いたいのです。
中国には道教タオイズムという思想があります。魯迅は「小雑感」という一文の中でこのように語りました。「人は往々にして僧侶を憎み、尼僧を憎み、イスラム教徒を憎み、キリスト教徒を憎むが、道士を憎むことはない。この理屈がわかれば、中国の大半のことは理解できる」。道教は日本文化にも深く影響を与えています。空海の思想にも深い影響を与えました。
私は中国の伝統医学に興味があって、北京大学医学部東京分校を見学に行ったことがあります。中国の伝統医学では、まずはじめに陰陽五行を学ぶと知って驚きました。宇宙の成り立ちに関する哲学、思想です。とても関心しました。分析、分解から始める近代医学とは、まったく別の世界観です。
日本には、独自の神道という思想もあります。ここには、アニミズムなどをはるかに凌駕した、自然世界に対する深い洞察があります。

近代を包含する、自然思想を育てたい。それが私の、遠く大きな目標です。

  インドの大詩人ラビンドラナート・タゴールは、「人間の歴史は 虐げられた者の勝利を忍耐強く待っている 」と語りました。近代科学は、まさに虐げられた者の頚木を外してくれました。私は、近代が人類に齎した貢献の大きさを疑ったことはありません。しかし、完全な思想はありませんから、ほころびが見つかれば、忍耐強く、直面する課題に対してふさわしい設問を探し、そして、その問いに相応しい解答を探し続ける努力を続けるべきなのです。

北海道では、十勝地方に私の友人が一般財団法人生活環境研究センターを設立して、住宅、農業、エネルギー、バイオマス、自然環境、景観、環境教育、都市計画などに関連する先端的な実験を行い、私が設立した株式会社大樹グリーンソサエティがそれを運営するというチームワークによって、これから、一つずつ、これらの問題に対する解答を探す作業に費やすつもりです。

  能楽の大成者世阿弥は、優れた芸術家には、「離見の見」が必要だと語りました。つまり、常に自分を第三者の目で見る視点を持てというのです。浙江工商大学で、もしも蛸壺型研究に没頭していらっしゃる方々がいらっしゃったら、ぜひ、「離見の見」を身につけるために、北海道にいらしてください。実際の環境行政について、あるいは、大学の研究者、事業者、農業従事者の努力と課題に触れて、東アジアに生きる私達が今後いかにして生きるべきかを語り合うことができます。都市化が進み、後戻りのできない沙漠化が始まってしまってからでは遅いのです。将来に対する私達の義務と責任として、この作業を始めようではありませんか。

  中国の作家魯迅は、「故郷」の中で、このように書いています。
「思うに希望とは、もともとあるものとも言えぬし、ないものとも言えない。 それは地上の道のようなものである。 もともと地上には道はない。歩く人が多くなれば、それが道になるのだ。」

  御静聴ありがとうございました。


 

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