No.1 諭し

2017.08.27
第四巻 自然万象

今年平成29年の1月、東京に出るために、湖水地方から十勝帯広空港に向かって雪道を急ぐ途中、前輪がガタゴトと音を立てた。どう考えても、パンクだった。なんとか空港までたどりつければ、帰りにゆっくり時間をとってスペアタイヤに付け替えて、と、都合よく考えたが、奮闘むなしく林の中の道で動けなくなった。飛行機に乗れないのだから、足止めだ。

私は、そこに、「諭し」と称される、自然の意思が働いていることを予感した。「諭し」であれば、立ち止まって事の流れを見て、真意を見極めることになる。

 

「諭す」というと、目上の人が目下のものを正座でもさせて、こんこんと説教するようなことを思い描くかもしれない。

だが、ここでいう「諭し」とは、運命を良好に運ぶ道を指し示す自然の働きのことだ。自分では気が付かない転換点、万一選択肢の一つとして思い描くことがあるとしても、舵を切る決断ができないほど大胆な変更の、指図である。

 

この1月の場合、私が動くことをやめて様子を観察していると、一週間か十日後には高速道路で立ち往生した。同じ車でパンクである。「諭し」だから大事故にはならないが、JAFが到着するまでの2時間ほど、路肩で考えに考えて、「現場を離れるな」という指図だと腑に落ちた。以後、さらに1か月の間に2本、結局合計4本のタイヤを交換する羽目になった。それは散財だったが、それだけ念を入れて諭すのだから、よほど大切なことだろうと考えて、素直に自重して、現場に身を置いた。

 

春が来る頃、牧場開設以来3年間、牧場に張り付いて働いてくれた酪農家2代目のO君が、そろそろ故郷に帰りたいと言って5月末に退社し、水牛専門のチーズ職人は以前から水牛酪農で新規就農したいと訴えていたので、計8頭の水牛を譲り渡して6月末に送りだした。その結果、牧場に残ったのは、O君の妻と、私の妻、そして、私の計3人である。

私は、4年前に牧場を開設した当初、ブラウンスイス種を5頭購入し、その5頭が牧場に到着した時にはじめて、牛というものに触った。チーズ作りもはじめてである。だから、いつも経験者に助けてもらい、離見の見で全体と細部の一部始終を眺めてきた。だがこうして、湖水地牧場を含む事業全体が私の掌中に収まってみると、自分が何をしたいのか、今や明確に分かっていることに気がついた。2人のスタッフを一度に送りだして困ったかと言うと、むしろ私の仕事量は減った。すべてをコンパクトに整理できたからだろう。

友人にそんな話をしたところ、「君の考えを準備するために周到に演出された4年間だったわけだな・・・」と。その演出家とは、だれだ・・? 

 

自然が与えてくれる「諭し」は実にありがたい現象で、私が気がつかない場面に働き、私には読み切れない将来への指針を与えてくれる。だが、趣旨を読み違えると台無しである。だから、身にふりかかる「諭し」について、考えに考え抜いて答えを見極める努力が必要だ。そして、見極めたら、何が何でもその通りにする覚悟が必要である。しくじれば、人生を前進させる大切な機会を失うことになる。だから日々、身のまわりに起こる出来事を注意深く観察し、失敗と反省と修正を積み重ねて覚えていく。そうするうちに、自分が内心で考えていることと、「諭し」に、因果関係があることもわかってくる。終わりなき修行みたいなものだ。  2017.8.22

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