水は乾いた大気を流れ落ちる

2017.08.30
第五巻 千旅万花

223291.jpgのサムネール画像

 チュニジア第二の都市スファックスから南下して幾つもの大地溝帯を走り抜けると、オアシスの町ドゥ-ズがある。サハラである。僕は、小さな宿の、べっとりと湿ったシーツの中で震えながら目を覚ました。まだほの暗い朝だ。この猛烈な湿気はまるで十月の驟雨のように、体を芯から凍えさせてしまう。


 モロッコのタンジールに暮らした作家ポール・ボウルズに、Let it come downという小説がある。「雨は降るにまかせよ」という意味だろう。この大地には滅多に雨は降らないが、確かに水は降りそそぐ。沙漠の深夜、満天の星空は地平全体を被う天蓋である。涙が出るくらい美しいが、仰ぎ見るその頬には、じきに夜露が流れ落ちてくる。あわてて宿の寝具にもぐりこんでも、夜露は窓の隙間から侵入してまといつき、黎明の頃には歯が鳴るほどに体が冷えるのだ。 

 

 

 沙漠は乾いてはいない。大気に、川に、海に、水は十分に満ち溢れている。神がこの大地で人に水の恩恵を与えないのは、森林がないからだ。文明は森を消費して発展し、森を消費し尽くして衰退する。行き着く先が沙漠化である。この大地もまた同じ命運をたどったのだ。

 植物があれば雨が降る。森を支える膨大な根群が地下水位を引き上げて維持するのだ。樹木の根がなくなれば、地下水は絶望的な地下の深みに沈む。そうなれば、植物を植えたからといって、安直に育つものではない。

 

 私と同業の都市計画家であるギリシャのPapayanis氏は、MedWet / Mediterranean Wetlands Initiativeの活動を通して、地中海沿岸に位置する国々を円卓会議に招集し、自然回復の活動の重要性を説得し続けてきた。

 「徒労かもしれないな。でも、たとえ数千年後のことだったとしても、地中海地域の自然回復にチャンスがあるのなら、とにかく始めることが大切だと思ったからね」とつぶやいた。

 

 雨が降らないから森がない。森がないから雨が降らない。環は切れてしまったのだ。元に戻すのは至難の業である。

 この大地に暮らした人々は、この自然の道理、宇宙の摂理に無関心でありすぎたのだろうか。

 

 それは、北アフリカに限らない。地球上どこにおいても変わらぬ真理である。都市化に対する妄執の行き着く先が、苛酷な沙漠なのだ。

 

 沙漠の旅人は、浮遊する塵になって彷徨う。

 僕は、日常の暮らしという重しを下ろして、沙漠という非日常をあてどなく遊泳した。この凍えた辛い朝は、その快楽に対する残酷な仕打ちに違いないのである。

 

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