信じるということ

2017.08.31
第四巻 自然万象

人の心には、信じるという力がある。

それは、こうすれば、こうなるという「結果を信じる」ということではない。

自然の道理を信じるのだ。

 

牧場を始めたいと考えて、2年間、湖水地方の農地を探し続けた。新規就農者に対する敬遠もあり、また、良い農地はだれも手放さない。競売物件を見つけて手を挙げたが、縁がなかった。買える物件は、たった一つだけだ。良い物件だとは思わなかったが、時間が惜しいと考えて、そこに入ると決心した。この土地に入植することが私の実力にふさわしければ、順調に物事は動くだろう。違うということであれば、ギクシャクするはずだ。類は友を呼ぶ。土地だって、私の実力にかなうところに縁があるはずだ。それが、モノの道理。手続きを進め、購入代金の交渉もして、農業委員会の許可もおりた。

代金支払いの直前になって、地元の事業家が言った。「白井さん、あの土地はダメだ。最初にどこに入るかで決まるのだから、考え直せ」

その直後、普段そっけなかった役場の課長が、役場全体が驚くほどの大声を張り上げて私に訴えた。「白井さん、あんなところに入っちゃダメだ。ほかにも良いところは必ずある。まだ金を支払っていないのだから、今なら引き返せる。もう一度探せ」

こうなれば、「やめろ」ということだから、助言にしたがってもう一度探そうと考えて相談して歩いた。森を切り拓けという提案があったので、森林組合に相談に立ち寄ったところ、「晩成の水谷さんを訪ねろ、ここでやりなさいと言うよ」と。勧められるままに動いた。初めてお会いした水谷さんは言った。「地目は農地ではないから候補に入らなかったかもしれないが、どうですか、ここでやりませんか」

そこは、湖水地方と太平洋を眺望する、その地域の一等地だった。湖水地方牧場開設の経緯である。

 

心には形がなく、科学的な計量もできない。だが、心は、自然に帰属している。自然の摂理を深く強く信じて、決然と退路を断って賭け放す。すると、心の働きが自然の道理の大きな力と深く同期し、「自然に」、穏やかで美しい世界があらわれる。

「考え方」を大切にする所以である。

 

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