戦争と自然

2017.09.30
第四巻 自然万象

自然は、この世界の支配者で、生きとし生けるものに、厳格な規範を課している。壮大な力で、長い時間を費やして、その規範を適用しつつ、自然が目指していることは何か?

自然は、人間が幸福に暮らす世の中を作ろうとしている。

自然は万能なのだから、何でも可能だ、戦争だってとめられるだろうし、人間すべてを幸福にすることもできるだろう・・・人は、そう考えるかもしれない。しかし、自然は、自然の規範に反する人を幸福にはしない。自然は、善人が幸福に暮らす世の中を作りたい。

 

自然の規範に反する人とは、悪人のことだ。

この手の人は、自分が悪人だと思っていないから、始末に困る。「自分が善なのだ」と言いくるめてしまえば、人は騙せるものだ、世界の規範だって変わる、とタカをくくっている。独善だ。そして、力づくだ、「力」に頼る。そんな人物は、度重なる不運に見舞われるので、人をその不幸に巻き込んで自分だけ逃げ延びようとする。

自分が考えていることは、悪いことなのではないかと、立ち止まる人は、その時点ですでに善人の類だ。不幸に巻き込まれないようにするためには、自然の道理にのっとった考え方を知悉する努力を重ね、善悪の区別をしっかり身につけて、なりふり構わず、悪と手を切ることに尽きる。そのようにして、一歩ずつ、人は磨かれる。 

 

今の世情をどう見るか・・・

戦争が目前である。戦争は悪人が引き起こすものだから、わざわざとめることはしないだろう。

日本人は第二次世界大戦でこりごりして、平和憲法を大切にしてきた。大半の国民は、戦争をしないことを理想として、この目標に向かって努力する。

現代史に、ボタンの掛け違いがある。

戦後、アメリカが極東の利益を求めて日本を占領し、言いなりにした。敗戦国の日本はなすすべがない。その「なりゆき」を前向きにとらえて、次善の選択として、日本政府は日米安保条約を結び、経済復興優先をめざした。一人一人の人間にも、同じような選択は常にある。ここまでは何とかなった。

しかし、今や、「なりゆき」の中で得られる平和は、風前の灯となり、健全な選択肢を失って、日本の政治は完全に手詰まりだ。行き着く先は、アメリカが始める戦争に、自動的に巻き込まれる。日本国民は、この結末を望んではいない。

 

「日本政府はアメリカに戦争をさせたがっている」と、中国の政府高官が言った。岡目八目、まったくその通りだろう。戦争の危機が迫れば、国民が憲法9条改訂に応じるだろうと考えて、戦争を誘導する・・・明らかに倒錯していないか・・・。米朝が開戦したら日本はアメリカの前線基地だ。即座に、日本に向けられた数百発のノドンミサイルが、日本を滅ぼすことは、火を見るよりも明らかだ。戦後史の「なりゆき」の中でもがく、安倍晋三首相が考える選択肢の中に、日本が生き延びる道はない。

 

自然の規範を考えた時、アメリカは善人の範疇にはとうてい入らない。狡猾、かつ、残忍な略奪で、富み栄えてきた国だ。しかも、考え方を変えて進化しようとする素振りさえ見せない。長い時間の中では、自然淘汰の対象だろう。アメリカの不幸に、巻き込まれてはならない。日本国民は平和を望む。戦後史の因縁を断ち、日米安保条約廃棄の道へ、アメリカと手を切る道へ、大きく舵を切るべき時が来た、と考えるべきだろう。米朝が戦うリングから、日本はおりるべきだ。

アメリカに恩義がある・・・? とんでもない! いったいどれだけ収奪されてきたのか・・・。

 

「流れ」の中のかじ取りでは解決できない、大きな転換が必要な時、自然は「諭す」。どこかに「諭し」はなかったか・・・?  3.11はどうだ? 立ち止まって、今後の日本の針路を、総括的に考え直せという、諭しではなかったか・・・? 

国難を乗り切るために、自然が諭す言葉に、耳を傾けたい。国民をあげて立ち止まり、考え抜かなければならない。生き延びる道は、必ずある。必要な指導者は、だれだ。

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