ミルクの冷却と管理

2017.11.09
第一巻 湖水地方レポート

これは豪州の事例だ。遠い国のことだから、少々、内情に触れることを許してもらおう。

豪州で唯一、地中海イタリア水牛純血種牧場のShawriver Buffalo Farmを訪れた時のことだ。チーズ工房で、モッツァレラチーズを製造する過程でフィラトゥーラしていない。熱湯でカードを溶かしてから、ザルで湯を切って、そのまま成型してしまう。

 

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イタリアで修行したというのだから、フィラトゥーラという、モッツァレラチーズに特有な作業を知らないはずはない。

フィラトゥーラ/filaturaとは、英語に置き換えるとspinning、つまり、繊維を紡ぐ、という意味だ。カードを熱湯で溶かして繊細な繊維を紡ぎ、成型して引きちぎる。湯葉を思い起こしていただければ、繊維のイメージはご理解いただけるだろう。これがモッツァレラチーズ独自の仕上げ方だ。だから残念ながら、Shawriverは、モッツアレラチーズ本来のうまみを作り出せていない。繊維ができても、まとまらないのだろう、と思った。湖水地方牧場でも、春と夏に経験した症状だったからだ。

 

チーズ製造を始めたはじめの3年間、つまり、今年の春までのことだ。春と秋に、必ず、チーズにならない時期があった。当時、私は直接現場に触っていなかったが、スタッフと一緒に頭を巡らせたが分からない。バクテリオファージではないかと疑ったが、よく考えてみれば、そんなはずはない。

バクテリオファージというのは、同じ工房内で長く同じ乳酸菌を使い続けていると、その乳酸菌のタイプに擬態し、乳酸菌の機能を破壊してしまう悪玉菌のことだ。しかし、数年ていどの時間の中で生まれるものではない。

今年に入って牧場の経営が軌道に乗り始め、私が都市計画の出稼ぎ仕事から徐々に身を引き、牧場に張り付くようになって気がついた。ミルクの冷却が甘い。飲用のミルクは、殺菌もするし、微生物叢による乳質の変化が、品質に顕在化することはない。だが、チーズ製造では、微生物叢による脂肪とたんぱく質の品質維持、あるいは、変化が、決定的な意味を持つ。案の定、搾乳所にバルククーラーを置いて、即冷却を心がけたところ、チーズの状態は良い。 

 

結局、その症状の原因は、ミルクの管理に起因する。振り返ってみれば、Shawriverは、水牛の飼養管理からチーズ製造販売まで一貫しているとはいえ、牧場とチーズ工房は離れている。沙漠の中の搾乳所で搾乳し、搾乳所に隣接するバルク室のバルククーラーで冷却する。だが、そこにローリー車が集荷に来るまで、1日でも2日でも保存する。50℃近い気温になる灼熱の夏もある。それは無理だ。冷蔵庫の中の生鮮食品を考えてみれば分かる。気温があがる夏には、同じ温度管理をしたつもりでも、早々に傷む。

 

10月に、ベトナムから日本人の若者が訪ねてきた。ホーチミンで日本人が経営するピッツェリアのために、チーズを作っているという。原料は牛のミルクだ。パキスタンを訪ねた時に、水牛のミルクを手に入れてモッツァレラチーズを作ろうとしたが、チーズにならなかった、何故だろうか・・・と言う質問だ。パキスタンの水牛ミルクは基本的にチャイなど、お茶を溶かして飲む。当然、熱をかけた飲用だ。飲用乳を生産する人々の、冷却に対する意識は、チーズ製造のそれに比して、ゆるい。

牛乳に比して水牛乳は特に、冷却と乳質管理を甘くすると、たちまち劣化する。目に見えない微生物叢との対話を、繰り返し試験しながら理解してきた事実だ。

 

Shawriver経営者一族の一人、Juliaが言った。私もシフトに入って深夜の工房に一人で入ることがある。それは、素晴らしい時間。この時間が、うっとりするほど大好き・・・これは生き方の次元なのだが、私もまだ暗い早朝に工房に入り、一人、黙々と午前中の仕上げに向けた準備をする時間の素晴らしさを味わっている。ミルクを殺菌し、乳酸菌添加、凝乳酵素添加、破砕して攪拌、乳清を取り出して・・・。目に見えぬ微生物叢との対話。脳の中で展開する壮大な物語。瞑想か、はたまた、沈思・・・

夜が明けて、牧場で牛たちが生き生きと動き始めるころ、スタッフがやってきて、リコッタを作り、カードの成熟を待ち、粉砕、フィラトゥーラ、成型、梱包、発送・・・この午前中の作業は、お祭り騒ぎだ。

昼食後は午睡を愉しみ、来客を迎え、お茶をいただきながら資料や本を読み、一時間程度を牧場の整備に使って、夕方の搾乳で一日を終える。世界との対話。自然の運行との一体感。人生の哀歓・・・29.11.9

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